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「ノスタルジア~ココロの旅より~」

エンケンさんが自身の音楽の原点の地を訪ねるドキュメンタリー番組「ココロの旅」
(2010年 9月 7日に関西テレビで放送)が新たに再編集され、
「ノスタルジア~ココロの旅より~」としてロングバージョンが放送されました。
過去記事「ココロの旅」http://jyunongaku.blog.shinobi.jp/Entry/162/




18歳の時ギターを始め、1869年【ほんとだよ】でデビュー。
個性的な楽曲でファンを魅了するそんな遠藤賢司さんの原点回帰の場所とは?


「茨城県 ひたちなか市の東石川です。俺の音楽に影響を与えた偉大な場所です」

美しい緑に囲まれた街、茨城県ひたちなか市。幼い頃、遠藤さんが音楽に触れた原点とは?



ひたちなか市 東石川小学校
「3歳だから、60年ぶりだね。多分ね。昔いたなって感じ。3歳の時だから全然覚えてない。
 ここが始めて音を出した原点だね。この小学校が」


わずか3歳の時、遠藤さんは初めて、ある楽器と出会う。



「オルガンを初めてここで弾いたんだよね。
 一人でとことこ歩いていって、いつも窓から覗いてると女の先生がパカパカパカって
 オルガンを弾いてて。なんか楽しそうだなって思って。
 夏休みに忍んで入って、そしたらそのオルガンがあったんでバカバカバカって弾いて
 物凄く興奮して、多分凄く良い音だったんだね、自分の中で。うわ~気持ち良いなあって。
 多分、音楽の原点だね。弾くという」


幼少時代、遠藤さんにとって近所の小学校は大きな遊び場。
大人の目を盗んで忍び込み、演奏したのは、一大のオルガンだった。


「これじゃないだろな~」といってオルガンの前に座って演奏するエンケンさん。
当時の記憶が蘇る。


立って前のめりの姿勢でオルガンをグアングアン弾きながら
「ちっちゃかったから、こういう感じで弾いたんだろうね」


初めてオルガンを弾いた時の気持ちは?
「何しろ興奮したね。俺は人間は皆芸術家だと思ってるから。
 一人一人が音楽だとか言葉を発しながら生きている。
 弾いた時に、今にして思えばね。それを凄く感じた。
 音を発したり言葉を発したり、3歳だろうがね言えない事って沢山あるじゃない。
 言葉も足りないだろうし。
 なんだか知らないけどお父さんとお母さんの言うことハイハイ聞いて
 ありがたく生活したんだけど、でも色んな物を見たり聞いたり何かを感じたりして、
 猫が通ったり犬が通ったり追いかけられたり、
 友達にいじめられたりそういうこともあるかもしれない。
 そんな溜まったことをいっしょくたに全部まとめて、そのときにここで表現した気がする。
 音楽は凄いな。今にして思えば」



3歳の時に初めて弾いたオルガンは、遠藤に音楽の素晴らしさを教えてくれた。
60年経った今でもこの日の出来事は音楽の原点として心に強く刻み込まれていた。

好奇心旺盛な少年時代を過ごした遠藤さん。
しかし、当時はまだ音楽の道を歩むつもりではなかった。
次に向かったのは高校時代の思い出の場所。




「ここは若宮八幡宮っていって、高校時代の相当な思い出の場所だね」

茨城県 常陸太田市。高校時代この近くに住んでいた遠藤さんは、
この境内を通学路代わりにしていた。
そして高校三年の時、生涯忘れられない音を耳にする。



若宮八幡宮に到着すると、境内で豊栄(とよさか)の舞( 越天楽 編曲版)が演奏されている。

古くから神社や結婚式などで行われている越天楽。
管楽器・弦楽器・打楽器など、8種の楽器によって奏でられる演奏と美しい舞は、観る者を魅了する。
当時、この越天楽を見て遠藤さんは強い衝撃を覚えた。



「たまたま高校の時に次の日お祭りだったらしくてこんな感じで練習してたんだよね。
 その時の印象が凄く強くて」


この日見た越天楽は遠藤さんの後の人生に大きな影響を与える事となる。
そして遠藤さんは18歳の時大学進学のときに上京。あることをきっかけに音楽に目覚める。


ギターを始めたきっかけは?
「18際の時に2畳の部屋に住んでたんだけど、そこでボブ・ディランの
『ライク・ア・ローリングストーン』を聴いた事が、ギターを手にするきっかけとなった」


孤高のアーティスト、ボブ・ディラン。フォーク、ロックのジャンルに囚われず、                                                                     自ら作詞作曲を手がけた個性的な楽曲は時代を超えて愛されている。


何故ボブ・ディランに憧れた?
「個人的なものを感じたんだと思う。
 それまで聴いてきた音楽というのは作詞家作曲家、映像家という者がいて、
 ボブ・ディランは全部一人でやったから。
 塊となってこちらにぶつかってくる音楽魂が凄かったから。
 「お前もやってみろよ!」っていうのを感じたね」


18歳の時に聴いたボブ・ディラン。彼の音楽魂は遠藤にミュージシャンという第一歩を歩ませた。

遠藤さんはギターを手に洋楽のコピーを始める。しかし満足感は得られなかった。
「ふと考えて、人の曲は聴いてるのはいいんだけどいつまでもモノマネしてもしょうがないや。
 自分のことは自分の音と言葉で言った方が早いなと思ったの。
 でないとボブ・ディランとは対抗できないじゃない。
 で、自分の歌を作ろうとある時思ったの」



ボブ・ディランを超えたい一心で作詞作曲を始める。その時ある光景が頭に浮かぶ・・・


「その時に越天楽が出てきた。初めから越天楽をやろうとは思ってなくて。
 本当に俺は好きな音をやろうと思ったの。根本的にずっとあったんだろうね。
 ボブ・ディランはボブ・ディランの越天楽があるわけだよね。
 向こうのブルースだったりするわけだ。
 俺はブルース聴いてるけども、向こうのブルースを踏襲しても仕方が無いわけだから。
 俺にとっては越天楽がブルースだもん。どんな外国で聴いた音よりも、
 ここで聴いた越天楽は誇りだね。俺は素直にそう思う」



高校三年の時に聴いた越天楽は遠藤にとっての誇りとなり、新たな楽曲を生み出す力となった。
デビュー曲【ほんとだよ】はボブ・ディランの音楽魂と越天楽によって生まれた。
 


遠藤にとって音楽とは?
「自分の聴きたい音楽だね。それ以外要らない。
 誰よりも自分が聴きたい音楽が出来ればそれでいいと思う。
 何故なら俺は人の為にやってないから。自分の為にしか歌ってないんだ。
 もう一つ言えば自分の為にやればやる程、褒められた時嬉しいじゃない。
 「良かったですよ!」って言われた時は、そいつの目は完璧に一緒になってるから、
 それを目指してる」



デビュー曲『ほんとだよ』(1969年)境内での演奏シーン


自分が好きな音楽を歌い続ける。
シンガーソングライター・遠藤賢司はこれからも己の愛する音楽を真っ直ぐに突き進んで行く。


「俺はボブ・ディランを聴いてギターを弾こうと思ったんだけど、
 ボブ・ディランの真似をしてもしょうがないでしょ。
 素直に自分の音楽をやろうと思ってるから。
 その時に越天楽が出てきたんだよ。
 根本的にずっとあったんだろうね。
 俺は少なくても日本で生まれて自分の音をやりたかった。
 ボブ・ディランはボブ・ディランの越天楽があるわけだよね。
 向こうのブルースだったりするわけだ。
 俺にとっては越天楽がブルースだもん。
 ここで聴いた越天楽は誇りだね」




●高校時代の同級生 和田文彦さんとの再会~高校時代の思い出

和「高校生の時同じクラスだったから気が合ってよく話した。
  でも音楽に進むっていうことは考えもしなかったな。
遠「音楽の話はあんまりしてなかったもんね」
和「やっぱり進路とか・・・」
遠「これからどうするんだ?みたいな(笑)覗いてみたいね。大した話じゃないよね。
  俺は何になると思ってた?」
和「普通の会社員になるんじゃないかって感じはしました」
和「そういう点では音楽の道で成功してくれたので、同級生として誇りに感じます」
照れくさそうに笑うエンケンさん。

高校時代、将来の希望と不安を語った友人。そんな仲間と過ごした日常も大切な原点となった。



原点回帰の旅を経て
「多分どこに行ってもやることは自分がやるわけだから、
 瞬間瞬間が、俺にとっては故郷だとだと思うけど。
 でも音楽をやる上で振り返って糧になっていくのは3歳くらいの原体験と若宮神社が出発だね。
 俺にとっては大きいね」



3歳の時初めて弾いたオルガン
18歳の時に聴いたボブ・ディラン
自分の誇りになった越天楽


これらが無ければ今の遠藤賢司は無かったかもしれない。


真摯に語るエンケンさんの眼力、美しい瞳のアップ映像が多用されていたのも印象的な編集でした。




















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